ガーデニング

 私は元々、植物がそこまで好きではなかった。

 

 まず匂いが苦手だった。植物の種類にもよるが、特に切り花なんかは青臭く感じることが多かった。あの匂いが得意ではなかったのだ。

 それに、私は子どもの頃からよく植物を枯らした。極端に水をやらなかったり、逆に世話を焼きすぎたりしがちだったのである。

 当然だがそんな環境では植物が元気でいられるはずもない。あらゆる植物が、私の雑な管理によってすぐに淘汰された。これでは植物を育てているのではなく、枯らしているようなものである。

 

 しかし何ごとにも転機というものは訪れるもので、パンデミックの時期(2021年頃)にふと思い立ってガーデニングを始めることにしたのだ。

 

 まず、いろいろな植物を買い集めた。花の苗や鉢植えの植物など、眺めて楽しめるものを選んだ。

 次に、外でずっと放置されていた古い土に新しい土や肥料などを混ぜて、土を作った。そして、買った植物をそこに植えて、手探りで育てた。

 花は野菜や果物のように食べることはできないが、見ていると心が癒される。土が合わなかったり、虫や病気にやられたり、私の世話がやはり日に日に雑になっていったりするので、すぐに枯れた花もある。

 でも次第に大きく華やかになっていった花もあった。飽き性の自分でも、花を枯らさずに育てられるのだという実感は、心が沈みがちな時期の私を前向きな気持ちにさせてくれた。

 ちなみに当時育てていた花のうち、多年草の花の中には、今も元気に育っているものもある。

 

 それから今に至るまで、さまざまな植物を育ててきた。

 私の性格上、やはりずっと飽きずに毎日世話を続けるというのは難しい。そのため失敗もあるが、植物は多少ほったらかしにしても平気なのだ。どこまでならほったらかしにしてもよいのか、という点はだんだん分かってきた気がする。

 それに、植物の種類によって水やりや日光の必要量、発生しやすい害虫や病気が異なることも実感した。心苦しさを感じながらも害虫を駆除するということも経験できた。

 

 植物を育てていて、嬉しかったことはたくさんある。写真でしか見たことのなかった虫が、私の花に誘われて飛んで来たり、花が綺麗に咲いていると周りに褒めてもらったり、花の名前を覚えることができたり。

 それだけではない。最近、植物を枯らしにくくなったと感じるのだ。もちろん、飽き性な私だけでは管理しきれないので、周りにも助けてもらっているのもあるのだろうが、そうは言っても枯らしにくくなったと思う。植物との適切な距離感を掴めてきたのかもしれない。

 

 今では多種多様な植物に囲まれて過ごしている。

 とはいえ私はそこまで本気でガーデニングをやっているわけではないので、そんな雑な管理をしているくせに、コラムのような記事を書くなと叱られそうなものだが、しかし私がこの数年間、いろいろな種類の植物に触れて、植物が好きになったことは間違いない。

 植物はペットのように動き回らないし、感情も表現しない。だが、日常の中でふと視界の端に入る、ただそこで咲き誇っている、それだけで彼らは私を癒してくれる。

 特に、外出しない日や家に篭りがちな期間があると、私の心は削られていく。「何もできていない」と焦り、「何かしなければ」と生き急いでしまうのだ。

 そんなときに、「ちょっと外の花を見てこよう(気が向いたら水やりをしよう)」「葉が茂りすぎているから、久しぶりに剪定しよう」などと思わせてくれて、私に役目を与えてくれる植物たちには、感謝している。

 

 先ほど述べたように、植物はペットに比べると変化に乏しい。だがよく見ると日々育ち続け、変化し続けている。それに、私の生活に小さな変化を与え続けてくれるのだ。

 愛おしく、たくましい存在。これからも彼らとの距離感を探っていきたい。