注射

 注射は苦手ではない。

 

 子どものときからそうだった。注射器に対する恐怖はなかった。痛いのは平気だったからだ。それに、たとえ予想外に痛かったとしても、表情や声には出さないというのが、私のこだわりであった。

 

 それもあってか、幼少期に注射器を刺されながらニヤニヤ笑っていたことがあった気がする。

 なんとも気味が悪い。漫画に出てくる好戦的な主人公が、強敵を前にして不敵に笑うのとはワケが違う。注射器を刺されている子どもが笑っているのだ。不気味なことこの上ない。

 病院の先生も「なんだこいつは」と思ったに違いない。対して当時の私は、注射が痛くないどころか、気持ちいいから笑いが出るのだと考えていた。それが事実なら、なおさら気味が悪いのだが。

 

 さて、予防接種の機会というのは当然ながら定期的にやってくるもので、大人になってからも注射器を刺されに行く機会は多い。

 しかし私は大人だ。立派な大人なのだ。さすがにもうニヤついたりはしない。真剣な面持ちで注射器の針を受け止める。そして、どんなに痛くても声には出さない。この点は幼少期と同じだ。

 

 ところが大人になってようやく気づいたことがある。私のニヤニヤ。おそらくだが、あれは、別に注射が気持ちよくて笑っていたのではなかったのだと思う。

 というのも、どうやら私は緊張するとニヤニヤする癖があるらしい。緊張する場面がやってくると、私の意志に反して、口角が上がるのだ。

 冒頭で述べたように、私は昔から注射そのものは怖くなかった。いくら痛かろうが、我慢できるという自信があったからだ。

 しかし、ややこしい話ではあるが、注射を打たれに行くという事実に対しては毎回緊張していた。私は生まれつき、緊張しやすい性分なのだ。

 とすると、もしかするとあのニヤニヤは、緊張から生まれた健全なニヤニヤだったのかもしれない。注射に快感を感じて不敵に笑う子どもだったわけではなく。

 

 また予防接種に行ってきた。

 怖くなかったし、ニヤつかなかったが、やはり緊張した。針を刺す前になぜか謝られたので、なおさら緊張した。予防線を張られたということだ。もしかして、痛いかも。正直ちょっと怖くなった。

 でも、私なら他人に針を刺すことのほうがよほど緊張する。もし私が注射器を握らされたら、ビビって手元が狂い、首に針を刺しそうだ。

 それを仕事としてやってのける医療従事者の方々は本当にすごい。だから私はどんなに痛くても耐える。それが私の仕事だ。

 

 かなり痛かった。

 声を出すわけにはいかない。何も考えてはいけない。無の境地を目指した。

 もはやそういうジャンルの修行である。これからも痛みに強くありたい。そしてあわよくば、緊張しないようになりたい。